きうちゃんの入院
2015/02/25 Wed. 23:42 [カンボジア2015]
2月18日、昼まで元気で遊んでいたきうちゃんが夜嘔吐し始めました
夜もおっぱい飲んでは嘔吐。泣き止まず心配になって救急受診しました
受診したのは、昨年8月に、こーさんのうちで講演もしていただいた
赤尾和美さんが所属していた、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANの
アンコール小児病院
寄付により小児は無料で医療が受けられるので
たくさんの親子が訪れます。
夜中の3時だったけど診てもらって座薬と飲料補液剤をもらって帰った。
泣き続け、夕方も再受診してみるが様子見るしかないとのことで帰宅。
2月20日。3日目。
嘔吐もおさまらないし、下痢はひどくなるばかり。
起き上がれず目もうつろになってきた。
心配で仕方ない。
2月21日。4日目。泣くか、疲れて寝るかで、まったく食べられない。もはやおっぱいだけ、でも
飲みすぎるとはいてしまう。
脱水状態でもうだめだ、と思ってまた病院へ。
お願いだから点滴してほしいと頼んだ。先生も入院しなさい、と
本当に安心した。こーさんと、この病院に寄付しなきゃ、安心して涙が出た
きうちゃんは嫌がって泣いたけど点滴してもらって、脱水が治るまで
何日か入院することに。
母児同室入院。
これから怒涛の入院生活が始まった。
この入院生活のこと、ずっと忘れないと思う。忘れたくない。
だから書いておこうと思います。
入院初日は、きうもとにかくぐったりして寝るばかり。
私も入院させてもらえたことに安堵していた。
病棟は何部屋かあるようだが、入院した部屋は18ベッドくらいの大部屋。
大きなナースカウンターがあり、ナースはそこでパソコンを使って入力したりしている。
ガラス戸で仕切られた部屋が二つあり、PRE-ICUである。
酸素使って、時々吸引される小さな子が入院してました。
いろんな病状の子が、すべて一緒の部屋に入院しており歳も様々。
右隣の男の子は遠方からわざわざ来て入院しているようで、弱っている。
出血もしやすいようで、そのうち輸血が始まった。
左隣の女の子は中~高校生くらいの子で、鼻に胃チューブが入っている。
2人のお姉さんが一生懸命面倒を見ているが、病気のせいで幻覚や幻聴があるようで、
ずっと何かしゃべっており家族も大変そう。
酸素している子、泣いている子、ぐったりしている子・・・
小さな赤ちゃんもいて痛々しい
ナースもドクターもおり、ナースは定期的に検温に回ってくれて、
日本みたいに献身的な感じはないけれど(こちらではナースもドクターも先生、と大変尊敬されている)
まあ優しい。しっかりしていて信頼できる感じ(自分が元ナースなのでつい観察しちゃう)
でもみんな私が外国人でも、容赦なくカンボジア語で質問してくる。
たいてい 下痢は何回か、嘔吐は何回か、乳は飲むか、食べ物は食べるか、
といった質問だけど、時に普段は使わない言葉もあって、困っちゃう。
でもまわりのお母さんが、興味津々で助け舟をだしてくれる。
なんと向かいのベッドの子のお母さんは、どっかで見たことがあると思ったら
いつも魚を買う市場の姉ちゃんではないか。
姉ちゃんも覚えてくれてたので何かと助けてくれた。
とにかく、きうは下痢と嘔吐はあるけれどバイタルサイン的には落ち着いているので、安定しているという位置づけのようだ。
夜になっても、電子音と赤ちゃんの泣き声で静かにはならず、しかも外に出ると自炊場があり、
さらには家族全員がそこで蚊帳を張って寝泊まりしいる。(同室が許されるのは一人だけ。)
さすが家族を大事にする国・・・
みんなここに引っ越してきたかのように、家化しており、
お母さん同士もここではじめてあったとは思えないほど仲良しである。
夜はなぜか電気を消してくれない上、扇風機は回っているが暑くて寝苦しい。
2月22日。きうは相変わらず下痢が大量に続き泣いてばかりで、精神的に苦しくなってくる。
こーさんが毎朝晩きてはご飯を差し入れてくれたり
洗濯物を持って帰ってくれたり、下痢で汚れたシーツを洗ってくれたりする。
きうちゃんの元気のなさぶりに落ち込んできて、私まで泣いている1日。
昔のきうの写真を携帯でみては、早く元気に戻ってほしいと祈る。
2月23日。点滴が朝漏れてしまい、元気も全然ないきうちゃん。
ナースもドクターも、何か食べさせないとだめだという。
ジュースやヨーグルトをあげてみるも受け付けず、ましてや経口の下痢止めなんて
飲むわけがないし、無理やりこーさんが飲ませるけどはいちゃう。
点滴に下痢止めの薬混ぜてよ、というが聞き入れられるはずがない。
日本ではこんなとき絶食で食べさせたりしないけど、カンボジアは違う。
とにかく食べさせないと力が出ないとみんな口をそろえていう。
点滴をもう一度差し替えるときはきうがあまりに不憫でつらかった。

暗い私のところに、病院のスタッフのお姉さんが、折り紙でモビールを作ってベッドにくくりつけてくれた。

きうちゃんが少しでもみるようにって。
そして励ましてくれた。まだ入院3日目でしょ、大丈夫って。
悪いものが出たら必ず治るからって。うれしかった。
夜は、ナースも励ましてくれた。(私が涙目だから)
どうしても食べれなくても点滴してるんだから大丈夫!と。
ナースやドクターが口をそろえて食べさせろ、のプレッシャーで弱っていた私には恵みの雨のような言葉だった。
夜、病院の事情で部屋を移動した。
今度の部屋はさらに狭く、より小さな子どもが多い部屋で、ますます暑い。
夜は蚊も多くて、相変わらず明るいし暑いし眠れない。
夜中きうちゃんが起きて泣くので、点滴スタンドごと持って抱いて外を散歩したりした。ほぼ不眠。
2月24日。きうちゃんもぐったりだが私もぐったり。
こーさんがお粥を買ってきてくれたけど、きうちゃんは全然食べられない。
昼前に部屋をまた移動した。
今度は明るい部屋で、退院前の部屋だそう。

きうちゃんの下痢が、水からゼリーっぽくなったので
よかった。点滴を抜いたら、よっぽど点滴がストレスだったのか
きうちゃんの様子が少しよくなった。
こーさんのお母さんがお見舞いに来てくれた
ご先祖様に聞いたら、ご先祖様がお酒を飲みたかったので、きうに悪戯をしたそうだ。
お母さんがお米をきうに振りかけて、何かおまじないの言葉を唱えてくれた。
そのせいか、そのあとからきうは少しずつ、ほんの一口だけど食べるようになった。
何日かぶりに立って歩いたりするようになり、ほんの少し笑顔も。
心底安心した。
こーさんが見つけてきた発泡スチロールに水を張って、数日振りに水浴びをさせた。

明日退院の見込み。
元気になったきうちゃん、夜はおてんばして落ち着かず、人のカルテも破いたりと・・・
夜は暑くて、きうを連れて何度も外に散歩に行き水道で水浴びをしてきうの体を冷やした。
2月25日
朝から結構食べてくれて、本当によかった。
うんちも下痢でなく固まってきた。
退院。うれしかった。
よほど病院と点滴が不安だったのか、おっぱいから離れない。
でも本当良かった。2度と忘れない思い出。
夜もおっぱい飲んでは嘔吐。泣き止まず心配になって救急受診しました
受診したのは、昨年8月に、こーさんのうちで講演もしていただいた
赤尾和美さんが所属していた、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANの
アンコール小児病院
寄付により小児は無料で医療が受けられるので
たくさんの親子が訪れます。
夜中の3時だったけど診てもらって座薬と飲料補液剤をもらって帰った。
泣き続け、夕方も再受診してみるが様子見るしかないとのことで帰宅。
2月20日。3日目。
嘔吐もおさまらないし、下痢はひどくなるばかり。
起き上がれず目もうつろになってきた。
心配で仕方ない。
2月21日。4日目。泣くか、疲れて寝るかで、まったく食べられない。もはやおっぱいだけ、でも
飲みすぎるとはいてしまう。
脱水状態でもうだめだ、と思ってまた病院へ。
お願いだから点滴してほしいと頼んだ。先生も入院しなさい、と
本当に安心した。こーさんと、この病院に寄付しなきゃ、安心して涙が出た
きうちゃんは嫌がって泣いたけど点滴してもらって、脱水が治るまで
何日か入院することに。
母児同室入院。
これから怒涛の入院生活が始まった。
この入院生活のこと、ずっと忘れないと思う。忘れたくない。
だから書いておこうと思います。
入院初日は、きうもとにかくぐったりして寝るばかり。
私も入院させてもらえたことに安堵していた。
病棟は何部屋かあるようだが、入院した部屋は18ベッドくらいの大部屋。
大きなナースカウンターがあり、ナースはそこでパソコンを使って入力したりしている。
ガラス戸で仕切られた部屋が二つあり、PRE-ICUである。
酸素使って、時々吸引される小さな子が入院してました。
いろんな病状の子が、すべて一緒の部屋に入院しており歳も様々。
右隣の男の子は遠方からわざわざ来て入院しているようで、弱っている。
出血もしやすいようで、そのうち輸血が始まった。
左隣の女の子は中~高校生くらいの子で、鼻に胃チューブが入っている。
2人のお姉さんが一生懸命面倒を見ているが、病気のせいで幻覚や幻聴があるようで、
ずっと何かしゃべっており家族も大変そう。
酸素している子、泣いている子、ぐったりしている子・・・
小さな赤ちゃんもいて痛々しい
ナースもドクターもおり、ナースは定期的に検温に回ってくれて、
日本みたいに献身的な感じはないけれど(こちらではナースもドクターも先生、と大変尊敬されている)
まあ優しい。しっかりしていて信頼できる感じ(自分が元ナースなのでつい観察しちゃう)
でもみんな私が外国人でも、容赦なくカンボジア語で質問してくる。
たいてい 下痢は何回か、嘔吐は何回か、乳は飲むか、食べ物は食べるか、
といった質問だけど、時に普段は使わない言葉もあって、困っちゃう。
でもまわりのお母さんが、興味津々で助け舟をだしてくれる。
なんと向かいのベッドの子のお母さんは、どっかで見たことがあると思ったら
いつも魚を買う市場の姉ちゃんではないか。
姉ちゃんも覚えてくれてたので何かと助けてくれた。
とにかく、きうは下痢と嘔吐はあるけれどバイタルサイン的には落ち着いているので、安定しているという位置づけのようだ。
夜になっても、電子音と赤ちゃんの泣き声で静かにはならず、しかも外に出ると自炊場があり、
さらには家族全員がそこで蚊帳を張って寝泊まりしいる。(同室が許されるのは一人だけ。)
さすが家族を大事にする国・・・
みんなここに引っ越してきたかのように、家化しており、
お母さん同士もここではじめてあったとは思えないほど仲良しである。
夜はなぜか電気を消してくれない上、扇風機は回っているが暑くて寝苦しい。
2月22日。きうは相変わらず下痢が大量に続き泣いてばかりで、精神的に苦しくなってくる。
こーさんが毎朝晩きてはご飯を差し入れてくれたり
洗濯物を持って帰ってくれたり、下痢で汚れたシーツを洗ってくれたりする。
きうちゃんの元気のなさぶりに落ち込んできて、私まで泣いている1日。
昔のきうの写真を携帯でみては、早く元気に戻ってほしいと祈る。
2月23日。点滴が朝漏れてしまい、元気も全然ないきうちゃん。
ナースもドクターも、何か食べさせないとだめだという。
ジュースやヨーグルトをあげてみるも受け付けず、ましてや経口の下痢止めなんて
飲むわけがないし、無理やりこーさんが飲ませるけどはいちゃう。
点滴に下痢止めの薬混ぜてよ、というが聞き入れられるはずがない。
日本ではこんなとき絶食で食べさせたりしないけど、カンボジアは違う。
とにかく食べさせないと力が出ないとみんな口をそろえていう。
点滴をもう一度差し替えるときはきうがあまりに不憫でつらかった。

暗い私のところに、病院のスタッフのお姉さんが、折り紙でモビールを作ってベッドにくくりつけてくれた。

きうちゃんが少しでもみるようにって。
そして励ましてくれた。まだ入院3日目でしょ、大丈夫って。
悪いものが出たら必ず治るからって。うれしかった。
夜は、ナースも励ましてくれた。(私が涙目だから)
どうしても食べれなくても点滴してるんだから大丈夫!と。
ナースやドクターが口をそろえて食べさせろ、のプレッシャーで弱っていた私には恵みの雨のような言葉だった。
夜、病院の事情で部屋を移動した。
今度の部屋はさらに狭く、より小さな子どもが多い部屋で、ますます暑い。
夜は蚊も多くて、相変わらず明るいし暑いし眠れない。
夜中きうちゃんが起きて泣くので、点滴スタンドごと持って抱いて外を散歩したりした。ほぼ不眠。
2月24日。きうちゃんもぐったりだが私もぐったり。
こーさんがお粥を買ってきてくれたけど、きうちゃんは全然食べられない。
昼前に部屋をまた移動した。
今度は明るい部屋で、退院前の部屋だそう。

きうちゃんの下痢が、水からゼリーっぽくなったので
よかった。点滴を抜いたら、よっぽど点滴がストレスだったのか
きうちゃんの様子が少しよくなった。
こーさんのお母さんがお見舞いに来てくれた
ご先祖様に聞いたら、ご先祖様がお酒を飲みたかったので、きうに悪戯をしたそうだ。
お母さんがお米をきうに振りかけて、何かおまじないの言葉を唱えてくれた。
そのせいか、そのあとからきうは少しずつ、ほんの一口だけど食べるようになった。
何日かぶりに立って歩いたりするようになり、ほんの少し笑顔も。
心底安心した。
こーさんが見つけてきた発泡スチロールに水を張って、数日振りに水浴びをさせた。

明日退院の見込み。
元気になったきうちゃん、夜はおてんばして落ち着かず、人のカルテも破いたりと・・・
夜は暑くて、きうを連れて何度も外に散歩に行き水道で水浴びをしてきうの体を冷やした。
2月25日
朝から結構食べてくれて、本当によかった。
うんちも下痢でなく固まってきた。
退院。うれしかった。
よほど病院と点滴が不安だったのか、おっぱいから離れない。
でも本当良かった。2度と忘れない思い出。
スポンサーサイト
[edit]
« カンボジアから、3月再開のお知らせ | カンボジアのローカルおやつ »
コメント
トラックバック
| h o m e |