カンタ!ティモール
2012/12/17 Mon. 22:20 [日本にいて感じるカンボジア]
少し戻りますが
12月14日、カンタ!ティモール
みてきました。

何度もお世話になっている直井保彦さんという、
東ティモールの写真を撮ってきたことでも有名なカメラマン、
直井さんという人に私とこーさんは心酔しています。
本当に魅力的な方、その方の妹さんが映画監督をされたこの映画。
ずっと知っていたのですが見る機会がなく、
でも、この映画のためにすごく頑張って活動している人たちに
いろんなところで会ったこと、
先日 キリングフィールドというカンボジアの映画をみたことから、
どんどんとこの映画を観る流れになってることを感じ、これはもういくしかないと
店を休んでいってきました。
映画を観て、私は恥ずかしかったです。
3年ほど前、直井さんに初めて会ったとき、私は
「東ティモールはどこにあるんですか?」と
直井さんに聞いたのを思い出しました。
日本は東ティモールという小さな小さな国、10〜20万人という日本から見たら
それは少ない人たちの悲鳴を利益のために無視していたということ。
知らなかった、だってメディアで流れないし、そんな言い訳は通用しないくらいな
現実がそこにあったことを全く知らなかったことが恥ずかしく思いました。
発展ということが、何がいいのか、
発展をはっきり否定していたアレックスという青年が私にはとても
手の届かない人に見えました。
でも、最後にみんなで輪になって踊ってテペを踏んだとき、すごく明るい気持ちになれて、
たしかに人の力を感じたし、でも、きっと私もその輪に自然とは入れているんだなと
嬉しく感じました。
こーさんは字幕はわからなかったと思うけど
映画を観て、二人で興奮冷めやらず、
結局飲みに行ってしまい、さんざん語り合いました。
日本のこと、カンボジアのこと。
カンボジアのクメールルージュのことも、なんだか重ねて考えてしまいました。
その日は眠れず、私はまたも夜な夜なクメールルージュのことを調べてしまった。
アメリカやソ連や中国、大国たちの対立・利害のなかで
ベトナムに対抗するためにカンボジアのクメールルージュへ支援がされ、
武器が売られていました。
ベトナム戦争がなければ、ポルポトがリーダーになることはなかった。
ベトナム戦争の前は、カンボジアは輸出国だったのに。
他国の対立や戦争の陰で、直接は関係のない国の歴史や人々の運命は
平気でかえられ簡単に人は命をおとしてしまう。
日本はあのときどういう立場をとっていたんだろう。
なかなかインターネットではでてきません。
また調べてみようと思います。
日本の政治は、今いろいろ叩かれたりしているけど、
でもテレビも新聞も見ないで、興味もない私には
何も言う権利がないなあ。
そんな思いで、ほとんどいったことのない選挙に今年は行きました。
12月14日、カンタ!ティモール
みてきました。

何度もお世話になっている直井保彦さんという、
東ティモールの写真を撮ってきたことでも有名なカメラマン、
直井さんという人に私とこーさんは心酔しています。
本当に魅力的な方、その方の妹さんが映画監督をされたこの映画。
ずっと知っていたのですが見る機会がなく、
でも、この映画のためにすごく頑張って活動している人たちに
いろんなところで会ったこと、
先日 キリングフィールドというカンボジアの映画をみたことから、
どんどんとこの映画を観る流れになってることを感じ、これはもういくしかないと
店を休んでいってきました。
映画を観て、私は恥ずかしかったです。
3年ほど前、直井さんに初めて会ったとき、私は
「東ティモールはどこにあるんですか?」と
直井さんに聞いたのを思い出しました。
日本は東ティモールという小さな小さな国、10〜20万人という日本から見たら
それは少ない人たちの悲鳴を利益のために無視していたということ。
知らなかった、だってメディアで流れないし、そんな言い訳は通用しないくらいな
現実がそこにあったことを全く知らなかったことが恥ずかしく思いました。
発展ということが、何がいいのか、
発展をはっきり否定していたアレックスという青年が私にはとても
手の届かない人に見えました。
でも、最後にみんなで輪になって踊ってテペを踏んだとき、すごく明るい気持ちになれて、
たしかに人の力を感じたし、でも、きっと私もその輪に自然とは入れているんだなと
嬉しく感じました。
こーさんは字幕はわからなかったと思うけど
映画を観て、二人で興奮冷めやらず、
結局飲みに行ってしまい、さんざん語り合いました。
日本のこと、カンボジアのこと。
カンボジアのクメールルージュのことも、なんだか重ねて考えてしまいました。
その日は眠れず、私はまたも夜な夜なクメールルージュのことを調べてしまった。
アメリカやソ連や中国、大国たちの対立・利害のなかで
ベトナムに対抗するためにカンボジアのクメールルージュへ支援がされ、
武器が売られていました。
ベトナム戦争がなければ、ポルポトがリーダーになることはなかった。
ベトナム戦争の前は、カンボジアは輸出国だったのに。
他国の対立や戦争の陰で、直接は関係のない国の歴史や人々の運命は
平気でかえられ簡単に人は命をおとしてしまう。
日本はあのときどういう立場をとっていたんだろう。
なかなかインターネットではでてきません。
また調べてみようと思います。
日本の政治は、今いろいろ叩かれたりしているけど、
でもテレビも新聞も見ないで、興味もない私には
何も言う権利がないなあ。
そんな思いで、ほとんどいったことのない選挙に今年は行きました。
スポンサーサイト
[edit]
« 今週のこーさんのうちと出店のお知らせ | こーさんのうち冬の音楽会ありがとうございました »
コメント
どうしたもんでしょねぇ やっぱり便利な物や乗り物は欲しい
でもそんなもん使ってばかりだと自然破壊に繋がる…人間利害も
その国?地域単位?で生まれたもんや 出来上がったもので
生きていく程度の生活レベルがいいのではないのかなと
最近思うのです
解放運動という名目で人間はクダラナイ殺戮行為を
してきていまでもやっている人間がいます
自国で生きていけるような環境を
それぞれ考えていかないといけないのではと
ボケた頭でおっさんは今のとこそんな風に思っています
僕も選挙ちゃ~んと行きましたよ
白馬のおっさん #- | URL | 2012/12/19 07:28 * edit *
トラックバック
| h o m e |