カンボジアのお母さん
2011/04/04 Mon. 07:43 [2011年カンボジアへ里帰り]
カンボジアの家にはたくさんの子供がいます。
昔は8人9人くらい子供を生む家も。
今だって、5人6人当たり前。
そんなわけでお母さんは子育てに忙しい。

日本みたいに保育園に子供を預けるなんて
そんなシステムやお金がないのはもちろん、
共稼ぎができるほど女性の地位は高くはないし(お金があれば別)、
仕事に就けるチャンスは、もともとの教育基盤の未熟さ(語学ができないと難しい)
もあいまって子供がいるお母さんは働きに出られる例は少ない。
家にいて、ニワトリと一緒に朝早く起きて、炭でご飯をたき、

買い置きやつくり置きはできないので
朝昼晩、時間をかけてご飯をつくり、買い物を自転車か徒歩でいき、
肉がほしければ夫か近所の人にバイクで連れて行ってもらい、
朝昼夕と、牛の世話をし家の中のことをやり、
子供を育て、夫を送り出し、夫が帰ってきたらぐーたらする夫に酒を出し、いたわり、
忙しいのだ。でも不満なんてない。
仲良く平和、家族の幸せが一番と思っているのは、お母さんの顔を見ればわかる。
そんなお母さんたちの楽しみといえば、近所での主婦同士の井戸端会議ではないでしょうか・・・

こーさんのお母さんの台所に人が来ない日はなく、
たいてい近所のおばさんがいる。

暇をみつけては、近所の家にいって、
「今日の昼ごはんなに?」
「朝ごはんは何食べたの?」
「○○かしてよ」
「ちまき作るから手伝いに来てよ」
「これたくさん作ったからあげる」
「畑にあるあの○○(野菜)売って」
なんて、毎日くりひろげられる軒下でのおばさんどうしのやり取り。
迎える側のお母さんも
「すわっていきなよ」
と声をかける。
家族でご飯を食べている最中も、おばさんたちはめぐってくるのだが、
そんなときカンボジアの人は大人も子供も必ず
「座って食べていきなよ」とほぼ100パーセントいう。
ご飯の最中によってきたおばちゃん。
おばさんたちは時々、お菓子だったりご馳走だったりすると、食べていく。
でも、だいたいは普段のご飯のときは食べていかないのだけど、
でも呼ぶほうは
必ず、 食べていきなよ と呼ぶ。助け合い。
一人の母が何か作っているところに遊びにきたら
自然と包丁とまな板を持ってそこに座って手伝い、
その作り方は違う、など口を出しながら
終わるとひとしきり話してかえる。
これはこーさんのお母さんが作る
プラホックを3人がかりでつくっているところ。

おばさんたちは人の世話が大好きでやたらと声が大きくさらに信じられないくらい元気。
私の背中をバシっとたたいて
「なんでうちに遊びに来ないのよっ」
と、みんな本気でうちに招待してくれる
歩いていると50メートル離れている家からも私を見つけ
「寄っていきなさーーーーーーい」
と大きい声で呼んでくれる。
村に現れた珍しい日本人の嫁、私のうわさは
おばさんからおばさんを通して村のはじからはじまで広がる。
村のどこを歩いても私を知っている。
それがこの井戸端会議ネットワーク。
テレビはないがテレビより役に立つとこの村で思うのでした。
カンボジアのお母さんがこの国を、支えてるのかもしれない。
たくましいたくましいお母さん。信じられないくらいよく食べます。
なんでかポーズするおばさん姉妹。

昔は8人9人くらい子供を生む家も。
今だって、5人6人当たり前。
そんなわけでお母さんは子育てに忙しい。

日本みたいに保育園に子供を預けるなんて
そんなシステムやお金がないのはもちろん、
共稼ぎができるほど女性の地位は高くはないし(お金があれば別)、
仕事に就けるチャンスは、もともとの教育基盤の未熟さ(語学ができないと難しい)
もあいまって子供がいるお母さんは働きに出られる例は少ない。
家にいて、ニワトリと一緒に朝早く起きて、炭でご飯をたき、

買い置きやつくり置きはできないので
朝昼晩、時間をかけてご飯をつくり、買い物を自転車か徒歩でいき、
肉がほしければ夫か近所の人にバイクで連れて行ってもらい、
朝昼夕と、牛の世話をし家の中のことをやり、
子供を育て、夫を送り出し、夫が帰ってきたらぐーたらする夫に酒を出し、いたわり、
忙しいのだ。でも不満なんてない。
仲良く平和、家族の幸せが一番と思っているのは、お母さんの顔を見ればわかる。
そんなお母さんたちの楽しみといえば、近所での主婦同士の井戸端会議ではないでしょうか・・・

こーさんのお母さんの台所に人が来ない日はなく、
たいてい近所のおばさんがいる。

暇をみつけては、近所の家にいって、
「今日の昼ごはんなに?」
「朝ごはんは何食べたの?」
「○○かしてよ」
「ちまき作るから手伝いに来てよ」
「これたくさん作ったからあげる」
「畑にあるあの○○(野菜)売って」
なんて、毎日くりひろげられる軒下でのおばさんどうしのやり取り。
迎える側のお母さんも
「すわっていきなよ」
と声をかける。
家族でご飯を食べている最中も、おばさんたちはめぐってくるのだが、
そんなときカンボジアの人は大人も子供も必ず
「座って食べていきなよ」とほぼ100パーセントいう。

おばさんたちは時々、お菓子だったりご馳走だったりすると、食べていく。
でも、だいたいは普段のご飯のときは食べていかないのだけど、
でも呼ぶほうは
必ず、 食べていきなよ と呼ぶ。助け合い。
一人の母が何か作っているところに遊びにきたら
自然と包丁とまな板を持ってそこに座って手伝い、
その作り方は違う、など口を出しながら
終わるとひとしきり話してかえる。
これはこーさんのお母さんが作る
プラホックを3人がかりでつくっているところ。

おばさんたちは人の世話が大好きでやたらと声が大きくさらに信じられないくらい元気。
私の背中をバシっとたたいて
「なんでうちに遊びに来ないのよっ」
と、みんな本気でうちに招待してくれる
歩いていると50メートル離れている家からも私を見つけ
「寄っていきなさーーーーーーい」
と大きい声で呼んでくれる。
村に現れた珍しい日本人の嫁、私のうわさは
おばさんからおばさんを通して村のはじからはじまで広がる。
村のどこを歩いても私を知っている。
それがこの井戸端会議ネットワーク。
テレビはないがテレビより役に立つとこの村で思うのでした。
カンボジアのお母さんがこの国を、支えてるのかもしれない。
たくましいたくましいお母さん。信じられないくらいよく食べます。
なんでかポーズするおばさん姉妹。

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