母の木彫り個展
2016/02/17 Wed. 12:21 [家族]
明日2月18日~2月28日まで、
安曇野市高橋節郎記念美術館にて、
私の母 平野まり子の木彫り作品展
花山里
が開催されます。

私の母は私が小さい時からずっと木彫りをやってきました。
子育てのために看護師をやめ、私が小学校や中学校から帰ってくると、家の母屋の隣の作業場でラジオを聴きながら
いつも木彫りをしていました。
木彫りの音がすると、母がいつもいる安心感がありました。
母はたくさんのものを彫りました。
レリーフ、時計、棚,、ティッシュボックス、鏡、爪楊枝入れ。
小学校の時、家を池田町に建てた時は自分で設計までして
ドアや階段の柵にも母の木彫りが埋め込まれ、
私は母の木彫りの中で生活することが当たり前でした。






だから母の木彫りを特別と思ったことはないし、いつもそこにあるもので
母が木彫りをすることはごく日常的なことでした。
思えばそういう生活で、母に育てられたから、私が手作りのものが好きに育ったんだと思います。
母は、私が帰るといつも手作りのお菓子やパンを焼いてくれました。
市販のポテトチップスの味は 小学校5年生くらいまで知らなかった。
母は嘘偽りの嫌いなまっすぐな人で、プライドが高く 浅く広く、ゆるく、
なんてことはできないまじめな人です。
私は愛情をとことん注いでもらって育ちました。
私が陸上部だった時も、受験の時も、就職した時も、今のお店を始めるときも、
こーさんと結婚した時も、子供を産んだ時も
手加減なしに精一杯支援してくれました。母のすべてをだしうって
育ててもらったと思います。
母は自分と向き合うために彫っているのです。
人に自分の作品を見てもらおうという気や、買ってもらうという気はあまりなく
だから、母は安曇野スタイルやクラフト市などにはでようとはせず、ただひたむきに彫っています。
自分の彫りを、自分自身をもっともっと極めたい高めたいと
日展や工芸展にだしてきました。それが母の選んだこと。
最近では入選が当たり前のようになりました。

母の木彫りは私の育った記憶の中で日常すぎて、母を芸術家と思ったこともないし
入選することも、どれだけすごいことかあまりわかってあげていない家族でした。
今回、個展なんて、と拒んでいた母ですが、ありがたいことにたまたま声がかかり
一念発起して個展をさせていただくことになりました。
若いころに彫ったものから、家の中の日常品としての彫、彫り方をかえて、今の彫になり
いろんな方から認められるようになった彫。
木彫り作家としての歴史というような、様々な作品が並びます。
だれにも見てもらえなかったら寂しいな、でも終わってみて 自分がよかったと思う個展にしたい。
とあくまでまじめな母。
まっすぐな人、母の木彫り、良かったらぜひどうぞ見にいってみてください。
安曇野市高橋節郎記念美術館にて、
私の母 平野まり子の木彫り作品展
花山里
が開催されます。

私の母は私が小さい時からずっと木彫りをやってきました。
子育てのために看護師をやめ、私が小学校や中学校から帰ってくると、家の母屋の隣の作業場でラジオを聴きながら
いつも木彫りをしていました。
木彫りの音がすると、母がいつもいる安心感がありました。
母はたくさんのものを彫りました。
レリーフ、時計、棚,、ティッシュボックス、鏡、爪楊枝入れ。
小学校の時、家を池田町に建てた時は自分で設計までして
ドアや階段の柵にも母の木彫りが埋め込まれ、
私は母の木彫りの中で生活することが当たり前でした。






だから母の木彫りを特別と思ったことはないし、いつもそこにあるもので
母が木彫りをすることはごく日常的なことでした。
思えばそういう生活で、母に育てられたから、私が手作りのものが好きに育ったんだと思います。
母は、私が帰るといつも手作りのお菓子やパンを焼いてくれました。
市販のポテトチップスの味は 小学校5年生くらいまで知らなかった。
母は嘘偽りの嫌いなまっすぐな人で、プライドが高く 浅く広く、ゆるく、
なんてことはできないまじめな人です。
私は愛情をとことん注いでもらって育ちました。
私が陸上部だった時も、受験の時も、就職した時も、今のお店を始めるときも、
こーさんと結婚した時も、子供を産んだ時も
手加減なしに精一杯支援してくれました。母のすべてをだしうって
育ててもらったと思います。
母は自分と向き合うために彫っているのです。
人に自分の作品を見てもらおうという気や、買ってもらうという気はあまりなく
だから、母は安曇野スタイルやクラフト市などにはでようとはせず、ただひたむきに彫っています。
自分の彫りを、自分自身をもっともっと極めたい高めたいと
日展や工芸展にだしてきました。それが母の選んだこと。
最近では入選が当たり前のようになりました。

母の木彫りは私の育った記憶の中で日常すぎて、母を芸術家と思ったこともないし
入選することも、どれだけすごいことかあまりわかってあげていない家族でした。
今回、個展なんて、と拒んでいた母ですが、ありがたいことにたまたま声がかかり
一念発起して個展をさせていただくことになりました。
若いころに彫ったものから、家の中の日常品としての彫、彫り方をかえて、今の彫になり
いろんな方から認められるようになった彫。
木彫り作家としての歴史というような、様々な作品が並びます。
だれにも見てもらえなかったら寂しいな、でも終わってみて 自分がよかったと思う個展にしたい。
とあくまでまじめな母。
まっすぐな人、母の木彫り、良かったらぜひどうぞ見にいってみてください。
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カンボジア正月の幕開け
2015/04/15 Wed. 20:44 [家族]

HAPPY NEW YEAR KHMER!
あけましておめでとうございます。カンボジア正月です。
今年は2年連続して行った「こーさんのうちカンボジア正月」イベントをしませんでした。
娘きうちゃんが保育園に入ったばかりで、家族3人で新しい体制に慣れるべく、支えあうときだし、
4月14日から、クメール正月に合わせてチュポンを始めたからです。無理はやめようと・・・
そのかわり家族で豪華に食事でも・・・などと思っていたらなんと
13日に私が熱発。苦しい~とかいってるうちに、
翌日14日の大晦日、きうちゃんが保育園から帰ってきたら徐々に
具合が悪くなりみるみる40度以上も熱を。ぐったり。
私看護師だっけ?くらいなあわてぶりで財布も保険証も持たず、きうだけ抱いて、雨の中、あわてて家を飛び出る始末・・・(しかもこーさんが追いかけて持ってきた財布には1000円札1枚しかはいってないし)
近所の姉さん的存在のママに病院をきいたが、場所がはっきりせず、
こーさんにかみつく勢いな私(←本当に困る人)
帰ってきても、なかなか熱は下がらず、つらそうにあまり寝付けなかったけど、朝方には何とか解熱しました。
ほー。ほんとうに娘が元気でないことほど落ち着かないことはありません。
今回のことで様子を見るということを身をもって学びました。
よくいわれるけど、そういうことね・・・と。(また繰り返すに違いない)
早く良くなっておくれ。

こーさんに、こういうお正月の幕開けは縁起的にはどうかな?
と聞いたら、悪いにきまってるでしょ。だって。気にしない気にしない。
今年もよい年になりますように。
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明日から2月末までカンボジア行ってきます
2015/01/03 Sat. 21:23 [家族]
明日1月4日から2月28日までこーさんのうちは家族3人で
カンボジアに行ってきます。
カンボジアでは気持ちをオフにして
いろんなものを吸収して、家族をいっぱい愛して
きたいな。
きうちゃんは、靴を履いて外を歩くことが昨日できるようになり
外を歩くとご満悦・・・
おかげで外出時は下ろせと要望が強く、歩き回ってはスーパーや店内のものを荒らしまわっています。
なぜこのタイミングで・・・(*_*;
飛行機が、移動が・・・(@_@)
1月7日からはアジアンべジ「こうくんのうち」オープンです。
洗濯物が乾かず、おむつを干しっぱなしにしていくよ、
こうくん、崎元さん、ごめんよ・・・

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こーさん一家のクリスマス
2014/12/25 Thu. 23:26 [家族]
クリスマスでした。
カンボジアでも最近はクリスマスが若者の間ではイベント化していますが、基本的に仏教なのでこーさんはさめたものです。
クリスマスのクの字も出ない。
店もあるし、特に何も用意してなかったし、私もスルーしていましたが、イブの日はスーパーはクリスマス一色ではないですか。
急に「やらなきゃ、クリスマス・・・!」「きうちゃんにもっと楽しいことを!」と突如根拠なく焦る私。
自分で作れるのに、スーパーでローストチキンなんぞつい買ってしまったら、こーさんがこれ食べるくらいならクリスマスを明日やるんだー!
と世に対するおかしな対抗意識(?)を燃やして25日の今日は
こーさんファミリーでクリスマス!
カンボジアのバーイ・アーイ・ナム(鶏飯)を張り切って作ってみました!

ジャスミンライスがないので、ジャスミンティと、カンボジアのハーブで鶏肉を煮て、そのスープにターメリックを入れてご飯を炊きました。
私たちのクリスマスチキン料理。こーさんは俺に合わせなくていいのに、といったけど私は西洋料理はもはやできないので・・・
さらにきうちゃんには、きうちゃんがおもいっきり食べれるように
甘酒とヨーグルトと果物と豆腐クリームを駆使して作ったノンシュガー、でも甘いドームケーキ。

きうちゃんはさんざんつんつんした挙句、突如おっぱいタイムに入り食べてくれなかった・・・

夜はこーさんが今日は俺が作ると言って私の好きな激辛麻婆豆腐と春雨炒めを作ってくれた!(もちろんすべて味は醤油でなくナンプラー)
まったくクリスマスらしくなかったけど、
家族で楽しもうとすること、思いやること、思ってもらえること、
そんな時間をもてたクリスマス。ナンプラーぷんぷんのクリスマスだったけど・・・
楽しいことは多いほどいい。
きうちゃん1歳のクリスマス。
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父のふくろう感謝ナイト
2014/12/21 Sun. 21:35 [家族]
18日は、父のふくろうありがとうnightでした。
父は65歳。ずっと高校の先生で、私と姉を育て学校へ行かせ大学まで行かせてくれました。
看護大まで行かせてもらったのに、いきなり20代でカンボジアフィーバーした娘が、カンボジアに行ったかと思えばカンボジア人と結婚したいなどと言い出し反対されれば駆け落ちの勢い。
父はあの時、ほとんど何も言わなかったけど
私がまたカンボジアに発つとき、大糸線の安曇追分駅で電車に乗った私を
見送ってくれた父が真っ赤な目をして電車の私に手を振っていたのを覚えています。
結婚を許してもらったと思えば派手な喧嘩を繰り返し(汗)
その先は怒涛(笑)のカンボジアの店までオープンし
固い仕事をしてきた父には目が白黒の展開だったと思いますが
今までずっと私とこーさんを応援して来てくれました。
2人のケンカや不妊、店の立ち上げ、いろんなことがあったけど
常にサポートしてくれました。今では、こーさんとも大の仲良し。
こーさんは今では友人のカンボジア人のトラブルや
カンボジアの相談事まですべて父にします(笑)
そんな父は定年後、それまで趣味で集めていたふくろう好きがこうじてとうとうふくろうを手すき紙で作ることに・・・
そしてとうとう今年はその手すき紙でつくったふくろうたちが
世にデビューしたのです。

水辺のマルシェや安曇野散歩市、いろんなイベントに出店させていただき知り合いのお店にも置いてもらったり・・・
父の楽しい第2ステージとでもいうのでしょうか。
楽しんで友人をたくさん作った父を見て嬉しく思います。
そして私たちのきうちゃんのシッターも一生懸命してくれます。
そんな父に感謝をこめ、またこれからの激励の意味で
今年父のデビューに際し力になってくれたかた、励ましてくれたかた、ふくろうを気に入って買ってくださった方、
父の新たな友人を呼んで18日感謝の宴をこーさんのうちでさせていただきました。

来ていただいた大事な人たち、本当にありがとうございました。

これからも父をよろしくお願いします。
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